姥捨て山

ふきだまりのまち

わたし27歳

たしかに、わたしには小さい時に思い描いていた大人の姿があった。

 

 わたしは今日も電車に揺られてただ会社に行って、もう何がしたくて会社に行っているのかさえ見失いがちになりながらもご飯を食べなければならないからという理由でただぼうっと会社に向かっている。気付いてみればただ電車に乗って、ツイッターで日ごろの文句をツイートしている間に会社について、なんだかよくわからない間に仕事を終わらせて、また家に帰ってという日を過ごすこと365日、気付いてみればまた一年が過ぎている。わたしがこうなりたいと思い描いていたはずのものは毎日どうやって過ごそうかな、今日やらないといけない事はなんだったかなということを考えているうちに終わっていて、何の目的も持たずただ日暮らし電車に揺られるだけの限界中年に両足を突っ込み始めた女しかそこにはいなかった。

 

わたし、27歳。

 

 何がしたいのか全く分からなくなってしまった。日ごろから何かをやるときは少なくとも、できないことを一個くらいできる様になれば良いのだと思いながら、何も無駄なことは無いのだと自分に言い聞かせて過ごすことで無理やり自分を立たせることが出来ていたのに、そろそろそれも限界が見えてきてしまった。停滞どころか悪くなっているような気がする。この二年近く、わたしはもともとできていたことだけで一日を過ごしてきてしまった。そこから先に伸ばすスキルも何もないことだけで、生活が出来なければまだ変わっていたのかもしれない。目的も何もかもを失ってしまっただけでなく新たにやるべきことを考えることをしなくなってしまった怠惰の限界中年はただ惰性で日々を過ごすだけでもう終わりであった。まだできていたはずのことすらできなくなってしまったように思ってからはもともと何もかもができるわけではないのに、何もできなくなってしまったような気がした。そもそも何もできなかったのだから当然のことだった。

 

わたし、27さい。

 

 わたしが小さなころに思っていた大人の姿を思い出すことがある。まだ熊本に住んでいた時、広い草原のある中央公園の隅にあるシーソーを揺らしながら、同級生と会話したことがある。「わたしたちは大きくなったら何がしたいかな」「なにをしていそうかな」よくある夢の話であった。「看護婦さんになって、子供が二人いるのだと思う」と言った同級生に、わたしはその時「大学に行って勉強して、たぶん仕事をするのだと思う、仕事はパソコンが好きだから、そう言う仕事がしたい」と言ったように思う。あの時話をしていた同級生はあの時話をした通りに看護師さんになって、結婚をして、子どもを二人産んだ。わたしも、留年はしたけど大学に行って、確かに仕事をしている。その時から「パソコンが好きだしインターネットが面白いから、そう言う仕事をしたい」と言っていたので、今のわたしは小さなころからやりたかったことの夢を叶えることが出来たのだと思う。

 

わたし27さい。

たぶん小さいころに思い描いた夢をかなえることはできたのだと思う

 

 それでもわたしが小さいころに思った大人の姿は、こんなにみっともなくてだらしのない姿だっただろうか。年だけ無駄に取ってしまい図体だけが大きくなって中身などそう変わっていないようにさえ思う。わたしの中身はたぶんまだ子どものままだろうに、身体もちいさなころとは違っていまのわたしには大人になったときのこと、大人になったときの夢というものを考えることはたぶん許されはしないだろう。あの時に思ったものとは違えど大人と言えば大人になってしまったのだ。ビールを飲んで早7年、小学校に入学して卒業して中学一年生になるくらいの年数がもう経っている。今のわたしは、小さなころに思い描いた仕事を毎日こなすだけである。あの頃の夢をかなえるための努力を今までしてきたのだということだけを依代にして、たいした中身のないものにすがっているだけのみっともない限界中年である。多分、あの時に見ていた夢はこんなにみっともない姿をしていなかったはずだ。もう、夢を見るには遅すぎるし、これからさきのことを見失うには早すぎる。正直何がしたいとか、どうなりたいとか、そう言うのがさっぱりなくなってしまってものすごく混乱している。27の明けをこんなに真っ暗な状態でだけは迎えたくなかった。