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姥捨て山

ふきだまりのまち

殺人鬼フジコの衝動

 

殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫)

殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫)

 

 

自分がああはなりたくないと言い続けていた母親の後ろを見事に追いかけた藤子は母親と同じことを繰り返してしまうし、藤子の娘も全く同じことを、というカルマの連鎖をするのかと思いきや、母親とは道を違えてカルマから解放されるハッピーエンドに見えなくもない話だった。

藤子ちゃんはね、あなたのお母さんとそっくりだから、お母さんみたいになっちゃだめなのよ、忘れなさいと叔母が言い続けるのが呪いにしか感じられない。
母親というものは子どもにとって世界のそれに等しいのだと思う。だから母親の言葉というものはどんなに年を取っても忘れられないのだという。

自分の幸せを守るために人を殺していく藤子の姿は、側から見ると狂気以外の何物でもない。過去の経験から一度握った幸せを失う恐怖と天秤にかけた時に殺してやる、殺してやると呪詛のように吐きながら人を殺す姿は殺人という罪を犯すのも仕方のないことなのかもしれないと思わせてくるのが恐ろしい。

ハッピーエンドに見えなくもないというのは、藤子の姿を描いた小説という体で書かれた物語だから、子どもがそのカルマから本当に解放されたかどうかがわからないから。もしかしたら解放されたいという願望があったからそういう結びにしたのか、それとも本当に解放されたのかがわからないのがすっきりしない、砂を飲み込んでる気持ち。結局それも解放されたかどうかを知っている人がお亡くなりになってしまっているから最後までわからない。

わたしが成人したあとの話なのだけれど、私の母親はよく自身の母親(つまりわたしの祖母)に、暴力を振るう夫と別れられないのはあなたがいるから、あなたの幸せを考えてのことだという話をされ続けていたという話をされていて、それは親が子どもにかける呪いだと言っていたことを思い出してしまった。そして、ばれなければどうということはないというのは遠藤周作の海と毒薬を思い出して二重に苦しくなる。

インタビュー・イン・セルを読んだらまた見方が変わると聞いたので次はそっちを見ている。