姥捨て山

ふきだまりのまち

雨心中 (唯川 恵)



芳子の記憶の中の八重山吹はいつも雨に打たれている、という回想から始まる恋愛小説。

この小説に描かれている芳子の心情はとうてい理解できるものではない。
仕事の続かない上に犯罪まで犯してしまう、血のつながりのない"もの"の周也など、さっさと捨ててしまえとさえ思った。芳子が言う「弟のような」家族愛だと言う周也に向ける異質な感情は、家族愛のような温かいものではない。依存と執着が混在してねっとりとまとわりついてくる異質な感覚はとても背中がゾクゾクするものであった。
「私が周也を甘やかしてダメにしてしまったんです」と言う芳子の言葉には後悔の欠片が微塵にも感じられなかった。ダメにして自分に依存させることで、自分を求められている感覚を喜んでいたのではないかとも。実際、デリヘル嬢として別の男に抱かれた時であっても、快楽を手放そうとせず、相手から奪い取ろうとするシーンは、愛を与えながらも、周也からまともな人間であるということを奪いとっていくシーンと重なるし、芳子がハオに対して感じていたことは全て周也とやりたかったことそのものだ、姉としてではなく、女として、一人の男として接したいと思っていたのかもしれない。
周也が結婚したいと連れてきた女性がこの世から去り、もう周也をとるものは何もいないのだと思っていたが、周也の心を占めていたのは、間接的に結婚したいと連れてきた女性を殺した男に対して、殺してしまいたいと言う復讐心でいっぱいであること。しんだ女が心を巣食い、また、芳子の心の中も、周也が巣食う。いくら芳子に、これから幸せになれる道があるのだと示したところで、芳子は何があっても周也のところへ走るだろう。この作品の登場人物は、みんながみんな不幸だ。幸せになる道があったとしても、全て不幸になる道をあえて選んでしまう。この小説を読んだ時に感じたことは、親戚に似たような女性がいたこと、馬鹿らしいと思いつつも、どこか笑うことのできないような心情になること、そしてそれが心をえぐってくること、えぐってくること。

この作品の冒頭は、八重山吹の回想シーンから始まる。
派手な花を咲かせず、果実をつけず、雨に濡れる八重山吹の花。